にんじんのなりたち

にんじん開設までの経緯

共同保育所にんじんの入り口

共同保育所にんじんは1976年に開所しました。

当時、田無市の公立保育園には、障がい児は入園できませんでした。そこで、「仕事を続けたい」「わが子を地域の子どもたちといっしょに育てたい」と考えた父母が、「共同保育所をつくろう」と呼びかけて、にんじんが始まります。

当初は小さな家で、定員が10人というこぢんまりとした保育所で、障がい児が地域の子どもたちと育ち合うことに重点を置き、障がい児が、他の子どもたちと切り離されてしまうことになる養護学校(現特別支援学校)義務化や、就学時健康診断の問題について、地域の人に積極的に働きかけを行ってきました。

1984年に現在の場所からほど近いところに引っ越しをして、定員も29名に増え、保育室の2階を使って、学童保育や文庫活動を行うようになります。そして、1990年からは現在のスタイルである、保育所だけの運営を行い、定員は24名になりました。

2003年4月に東京都の認証保育所となり、現在の建物に移りましたが、今でも保育のこと、障がい児のことなど、開所当時の考えを受け継いで現在に至っています。

にんじんを開設した山田先生のご挨拶

山田真先生

私たちが『共同保育所 にんじん』を立ち上げてから、もう40年以上が経ちました。一戸建ての民家を借り上げての小規模な保育施設で、大家族が暮らしているような感じでした。

4人の専従保育者と保護者とで協力して保育をしていました。私も週1回保育に入り、子供達の食事やおやつも作りました。貧しくて狭く、おもちゃなどもありませんでしたがその分戸外で遊ぶことが多かったのです。

色々な個性の保育者が集まっていましたが、「自然が好き」という点では、ほぼ一致していました。「自然」と「清潔」は両立しにくいので清潔ということはあまり考えませんでした。子どもたちがのびのびと生きていれば汚くなるのは当たり前なので、子どもが汚いのは健康の印と考えていたのです。

私は小児科医ですが、「子どもは小さい時に色々な感染症にかかって強くなる」と思っていました。幼い子どもを保育園のような集団生活の場に入れれば、日常感染症があります。そういう場で感染症にならないような対策を考えるのは無理でもあり、無駄でもあると思い、「赤ちゃんの頃から保育園に行けば、小学校に入る前に一通りの感染症に対する免疫ができていい」ということを言ってきました。そういう私の発言に眉をひそめる人もいましたし、医者の中でも少数意見でした。

でも、月日が経って私の意見はむしろ多数意見になりました。『アレルギーのない子にするために1歳までにやっておきたいこと15』(古賀泰裕著・毎日新聞出版2015)の中には色々面白いことが書かれています。

まず、イギリスのストラカン博士が1989年に提唱した「衛生環境のよい所で育つことによって、かえってアレルギー疾患が増加する」という、衛生仮説が紹介されています。

この説を裏付けるものとして、2000年の調査で「2〜3歳までは、兄弟の多い子どもの方が、喘鳴症状を持つ呼吸器感染が多かったが、6〜7歳になるとこれが逆転し、一人っ子や託児所に通っていなかった子どもの方に、気管支喘息が多く見られた」ということや、「生まれてすぐに保育園に預けられた子どもは2歳時でのアレルギーが少ない」ということもわかったと書かれています。

そして、著者の古賀教授(東海大医学部)は「現代の私たちを取り巻く生活環境は、衛生仮説の観点から見ると高度に無菌化されており、アレルギーを増長させることばかりなのです。」と書いてあります。

私たちの体の中には百兆から千兆くらいの細菌がいて私たちを守ってくれています。世の中にいる無数の細菌は私たちのために役立ってくれていて、病原菌はほんの少しです。

「除菌の思想」は、私たちの役に立ってくれている細菌を除去してしまおうという思想で、これは大変危険であることがどんどんわかってきました。「清潔」という不自然を見直してみることを皆さんにおすすめします。

山田 真(やまだ まこと)

岐阜県出身。東京大学医学部を卒業後、八王子市の八王子中央診療所に勤務、その後同診療所の理事長を務める。障がい児を普通学校で学べるよう長年にわたって尽力し、その想いは現在の共同保育所にんじんにも継承されている。

著書

『はじめてであう小児科の本』表紙

『はじめてであう小児科の本』
福音館書店

『清潔育児をやめないか?』表紙

『清潔育児をやめないか?』
ジャパンマシニスト社

『かがくのとも版きゅうきゅうばこ』表紙

『かがくのとも版きゅうきゅうばこ』
福音館書店